確定拠出年金の運用実績

ファイナンス日記帳

山師へのいざない 昭和62年

山師へのいざない、いや株式市場のと出会いは、昭和62年、中学2年生の時だ。

その頃通っていた学習塾の先生が、休み時間に週足チャート(たぶんゴールデンチャート社のやつ)を見ていた。

当時生徒だった私は先生に「何それ」と尋ねた。

先生は、株価の動きを示す「チャート」ということを教えてくれた。

当時の中学生でも知っている企業は、ファミコン任天堂だった。そこで初めて任天堂のチャートを見たと思う。

また、先生は四季報も見せてくれた。分厚い本だなと思った。そこでも任天堂を見たとおもう。コメント欄に、ファミコンがどうのこうのというコメントがあったような気がする。へぇ、自分たちが持っているファミコンのことが書いてあるんだと思った。と同時に、なぜか面白そうだなとおもった。他にも知っている会社を適当に見た気がする。

 

当時はバブル経済の開幕前で、株価は右肩上がり、株価も地価も下がらないものという前提があった。今のうちに買っておいて、時間がたてば儲かるのだろうと思った。

これなら、楽して儲かるのではないか?(山師に目覚める)

 

ちょうどその年の秋、ブラックマンデーが起きた。ブラックマンデーの当日は塾があった。夕方のニュースを見て教室に向かった。

たしか先生が夕刊を見せてくれて、今日の株価は暴落しているという話をしたのを覚えている。確かに、株価の紙面は、真っ黒、値下がりの▼が多かった気がする。ただ、子供ごころに、今日買って、明日売ればもうかるんじゃないかと思った。(すでに山師)

 

翌日は反発して、やっぱり買いだったと悔やんだ。(山師誕生)

 

それからしばらくして、自分も四季報を買った。四季報を買って読んでいるだけで、少し大人になった気がした。内容はよく分かってないが。同年代の多く中学生は、ジャンプやマガジンといった漫画を読んでいるというのに、そいつらとは違うと言いたげに読んでいた。(20年後も、少数派の道を歩んでいるけどね)

 

四季報の内容は、なんとなく、独学というか解説のページを見て覚えて行った気がする。業績のコメント欄を読んでいくと、身近な製品や出来事が会社の業績に影響を与えているんだというがうっすらと分かった。

 

業績予想も、今年より来年の金額が増えているのが当然といった感じだった。今では考えられないが。

 

新聞の株式欄もよく見るようになった。昭和62年ごろから、上げ幅も大きく、史上〇番目の上げ幅というような記事をよく目にした。自分も適当な銘柄を見ては、上がった、下がったと追っかけていた。

 

そうなると自分も参加したくなるのが人情である。当時の売買単位は1,000株、500円額面なら100株という時代。

中学生ではお金を持っていないので、中学生でも買えるような銘柄はないか?と探していると、株式欄の隅のほうに、店頭管理銘柄として北海道炭鉱汽船という銘柄があって、株価はひとケタ、もしくは10円台だったと思う。これなら買えるかもしれないと思ったが、証券会社に口座を開く勇気はなく、いまでいうバーチャル投資家になった。

ほかにもチッソとかあって、あのチッソが売買されているのかと思ったのを覚えている。

 

昭和62年の四季報は、残念ながらないのだが、平成元年の四季報が手許にある。ペラペラマンガのように頁をめくると、ページ上部のチャートがどれも右肩上がりになっている。

 

また、四季報の巻頭の広告もすごい。

証券購入ローン 

資金使途 上場株式の購入資金 

金利 9.3%~ 

融資額 担保評価額の3倍まで

 

これは時代を感じさせる広告だ。

上場株式をローンで買ってよかった時代だったんだ。

だって株価は右肩上がりだもんね。時間が解決してくれるんだよね。

 

ちなみに、四季報の裏は住友軽金属の広告だ。

 

今から当時を振り返って調べると、昭和62年には、蛇の目ミシンの買い占めも行われていて、これが後々厄介なことになるとはこの時には思ってもいなかった。